自分の持っている力以外の力を利用する方法

昨日は「マトリックスは観えているか?」にて、お施主様の「ニーズ」の実現に関して考える事などを書かせていただきました。

今日はもしかしたら、逆に思える話になるかも知れませんが、「自分の持っている力以外の力を利用する方法」について書こうと思います。

皆んな自覚してようが、そうでなかろうが自分の定めた目的地を目指して生きています。
それはちょうど自動車を運転している状態に似ています。
目的地の方向に目を向け進んで行きます。

自動車にはサイドミラーやバックミラー、センサーやカメラが搭載されて死角を減らしていますが、人生を歩む道のりにはサイドミラーもバックミラーも無いかも知れません。
もしくは、それらに変わるのが人の意見なのかも知れません。

出口の見えない闇の中で迷う日も、後ろばかりを振り返っていては目的地に達せないので、前を向いて歩んで行きます。

この様に、想いや目指す方向がある方程、死角が生まれてしまう事になります。

だからこそ、自分以外の人が存在するのだと思います。
自分以外の人は、自分とは違う方向に目的地を定めていて、見ている方向が違います。

その事で同じ時間、同じ空間に一緒にいても違う景色を観ている事になったりします。

もし、目的地を目指して運転している途中に、運転席からは死角で助手席から見えている情報を入手したいなら、車を止めて助手席に移動して確認する方法があります。

しかし、目的地への到着が遅れたりする場合もあります。
また、景色は刻々と変化するので同じ情報を入手出来る訳でも無いかも知れません。

だからもうひとつの方法として、助手席の方からの情報を鵜呑みにする方法もあります。
そうすればライブに自分以外の情報(力)を利用出来るかも知れません。

自分以外の情報(力)をちゃんと自分で確認して理解した上で自分の情報として判断材料にする。

コレが理想ではありますが、時間もかかる場合も多く、また本来の自分の力を見失ってしまう可能性も否めません。

本来の自分の力とは・・・

僕は、人を含めあらゆる生物は、生まれながらにして自分で生きていける力を備えていると考えています。
それが命というエネルギーなんだと理解しています。

ただただ己を知り受け入れさえすれば、たどり着ける力を備えている。
それが本来の自分の力なんだと考えます。

「Don‘t think! Feel」
これはブルース・リーの有名なセリフですが、考えずに感じ、その自分の感覚を疑わず信じ続ける事さえ出来れば、自分の力はもちろん、自分以外の力も自分のモノに出来るのでしょうね!

それが出来れば、苦労は無いのですが、揺れ動くのが人間というモノで・・・

あなたなら、どうしますか?

自分の視野の範囲で生きていきますか?
それとも目を閉じて感覚を研ぎ澄ませますか?

他人の意見を鵜呑みにしますか?
他人の意見をひとつずつ確認して自分のモノにしますか?
他人の意見に耳を傾けて、感じますか?
それとも耳を塞ぎ感覚を研ぎ澄ませますか?

どれが正しいとか間違っているとかでは無いと思います。

あなたなら建築デザイナーの力をどの様に使い切るのかなって思います。

マトリックスは観えているか?

例えば、歳がいくと涙腺が緩くなり涙もろくなると言いますが、それは老化というよりは、ご自身の経験の多さから共感出来る幅や感じる事が出来る深さの成せる技ではないか?と考えます。

幼子がTPOをわきまえず空気が読めないのは、我慢が効かないのもありますが、知識や経験、感性が低い為だと考えられます。

では、空気が読めない事は、良くない事でしょうか?
必ずしも悪いとは言い切れないと思います。

人の目ばかりを気にして自分を失うと言った事が無く、自分の意見や考えを持っていられるかも知れません。

一方で、迷惑をかけたり知らずに誰かを傷付けてしまう事で後悔する事もあるかも知れません。

僕は、中学生の頃、伯母に連れて行ってもらった「OLD NEW」に入館してから建築に興味を持ち、高瀬川沿いにある「Times」で遊んだりし、高校生の時には吉祥寺の叔母の設計事務所で本を見たり図面を見たりしていました。
小学生の頃、筆箱に入っている消しゴムは、maid in West Germanyのステッドラーの消しゴムでした。

(上記の文が何を意味するのかは、また機会があればご説明しますが)つまり僕は涙腺の緩い老人です。

建物を観ると細かなサインさえ受信して、建物から発信されているメッセージを多く受信します。
もう職業病です。

だからといって(建築的な知識やセンスが高いからといって)それが正当とか優れているとか思いません。
先程もお伝えした様に、空気が読めない事や理解が浅い事、感覚が鈍い事は、いつも悪いとは言い切れません。
むしろ「己を信じる強さ」さえあれば、他に必要な力など何も無いのではないかとすら思えます。
つまり理解が浅かろうが、感覚が鈍かろうが、自分を信じさえすれば良いのだと思います。

そういった考えの中で「ニーズ」を考えた時に、とても悩むのです。

涙腺の緩い老人の経験を押し付けてしまわないか?
お施主様が「そうしたい!」と言うのなら、(例え論理的に崩壊していても)そこに意味があるのではなかろうか?
でもお施主様は、自覚せずともその意味を信じつける事が出来るのだろうか?
後悔しないだろうか?

そんな事を考えます。

何がシアワセをつくるのか?
そこにはセオリーが存在しません。
時には老人の経験が功を奏する時もあるでしょうし、無知だから飛び込んだ結果、未来が開けるって事もあるでしょう。

僕に出来る事は、更に老人の経験を増やして更に涙腺を緩くするのと同時に、その経験などを必要とされた時、押し付けなく一資料として経験を提示出来るように準備しておく事。
そして、お施主様のシアワセを願う事だろうと考えるのです。

鎮め物

今日から11月です。
今年も残すところあと二ヶ月となりました。

毎月一日には、月旦祭(つきなみさい)に参加させていただき、1ヶ月無事に過ごせた事への感謝と、また新たな1ヶ月を無事に過ごせますようにとお願いをしています。

そのお参りをさせていただいている藤島神社さんに先日地鎮祭をお祀りいただいた際、お預かりした鎮め物を、鉄筋屋さんが入る前に、月旦祭が終わるなや否や現場に直行して建物の重心になる位置に設置しました。

コレで工事の安全や、建物が完成してからもお守りいただけるので安心です。

お金のはなし。

今日は住宅ローンなどのお話を、金融機関さんをお招きしてお施主様にしていただきました。

お住まいはもしかしたら人生最大の買い物かも知れないとよく表現されます。
多くの方々が住宅ローンなどをご利用されるのですが、担保や抵当権、登録免許税や不動産取得税など耳慣れない言葉も色々飛び交います。

そこで弊社では、ファイナンシャルプランなどお金にまつわるご相談なども承っております。

今日は金融機関さんのお力添えをいただき、住宅ローンにまつわるお話をしていただきました。