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祈り

今朝、奈良にいる親から福俵(縁起物)が送られてきた。
早速会社の神様の定位置(コピー機の上)に飾った。

昔は神様や信仰の意味を理解できなかった。
おみくじなどはガチャガチャ的な楽しみで引いたりはしたけど、信心深くはなかった。

今はもしかしたら最も最適な親切なのかもしれないと、思ったりもする。

誰かの無事を祈ったり、誰かの幸せを祈ったりするのは、もしかしたら具体的にお金を送ったり、手助けをしたりするより崇高に感じたりもする。

実は世の中もほとんどはどれもこれも親切心や愛みたいなものでできてるって感じる。

例えば、親が子を思う気持ち。
突き放す時も、抱きしめる時も全ては愛。
ただ、上手く愛するのはかなり難しい。。。
だから時には衝突もおこる。

どうすれば上手く愛せるか?
そんなことをずーーーーっと考えてたら、もしかしたら「祈ること」じゃないかって思えるようになった。

具体的でも建設的でも効果的でも実質的ないかもしれない。
でも、だからこそそこに総合力のある気持ちが宿るんじゃないかって、ちょっと思う。
多くのことは得るものがあれば失うものがあるけど、「祈り」は失わないような気がした。

どうなのかな?(笑)

ありがとう!

恵比須さんがカメラ目線(笑)