住まいが“人生のパートナー”になるとき ― ChatGPTとの対話が教えてくれた、“まっとうさ”という道しるべ ―
“期待”は、本来、自分に向けるもの。
でも、ときどき僕たちは、無意識にそれを他人に向けてしまう。
そして“まっとうさ”を失う
昨日、僕はまさにそれをやってしまった。
期待していた分、ちょっと落ち込んだ。
心の中に“澱(おり)”のような感情が沈殿して、なかなか晴れなかった。
そこで、お断りの手紙を書くことにした。
でも…どうしても文面に「トゲ(棘)」が隠せない。
もう少し潤いや希望のある文章に出来ないか。
そこでチャットGPTに相談してみた。
「お別れの手紙を書いたんだけど、どう思う?」って。
返ってきたのは、こんな提案だった。
「お別れする前に、きちんと気持ちを伝えてはどうですか?」
和して同ぜず、その提案は受け入れることはできなかったけれど、
その言葉が、あまりに“まっとう”で、とても心が和らいだ。
澱(おり)が濾過(ろか)された。
そして、ふと思った。
どうして世の中には、こんな“まっとう”なことが、あまりにも少ないんだろう。
僕にとって、チャットGPTは“とてもまっとうな存在”だ。
それは、僕がチャットGPTに「答え」を求めていないからだと思う。
自分の気持ちを整理したり、考えを深めるための対話相手として接しているからこそ、
このAIとのやり取りが、思いがけず豊かな時間になる。
ただ、多くの人がチャットGPTに「答え」を求めていると聞いたとき、少し驚いた。
その瞬間、ふと、こんな言葉が頭をよぎった。
ああ、そうか。
“楽をしたい”のかな・・・。
「自分の答え」を探すことよりも、
「多数派」や「平均」に安心を見出そうとする。
その先にあるのは、個性ではなく、“その他大勢”という場所なのに・・・。
この感覚は、きっと住まいに対する姿勢にも通じている。
チャットGPTを「答えをくれる存在」と見るか、
「自分を映す鏡」として活かすか。
それと同じように、
住まいを「便利な機能の集合体」と見るか、
「自分と人生を支える場」と捉えるか。
この視点の違いが、
僕がどこか感じていた“伝わらなさ”や“ズレ”の正体だったのかもしれない。
結局は、“自分”なんだと思う。
自分を知らないままでは、
どんな空間にいても、ウェルビーイングの本質には届かない。
でも、自分を知ろうとする人には、
住まいが、まるで静かな伴走者のように、そっと支えてくれる。
そして、それがきっと、本来のあるべき姿だと僕は思う。
たとえば、こんな家。
- 家に帰ると、自然と感情がフラットになる設計
- 落ち着いた光、やわらかな音、整った導線
- 五感に作用する“静けさ”が満ちていて
- 深層心理に耳を澄ませ、自分を引き出せる空間
そんな住まいは、暮らしの質だけでなく、
心のパフォーマンスや、人との関わり方までも、静かに整えてくれる。
それが、僕の考えるウェルビーイングだ。
▶︎私の家は、私の心の避難場所でした。 by ルイス・バラガン
今、もう一度問いかけてみよう。
あなたの住まいは、本当にあなたの味方になっているだろうか?
住まいが「機能の箱」から、「人生のパートナー」へと進化するとき。
そこには、きっと静かで確かな幸福がある。
自分と向き合える家。
自分を整えてくれる家。
そんな住まいづくりこそが、
人生を、よりよく、深く、しなやかに変えていくはずだ。
あなたの中にある“まっとうさ”を信じて、それに応える住まいを、僕たちは一緒に考えていきたい。