dimコードが美しく響くとき
〜違いが調和を生む、住まいづくりの本質〜
dim(ディミニッシュ)コード。
それ単体で聴くと、なんとも言えない不安定さや緊張感がある。
映画のサスペンスシーンに流れていても違和感がない、そんな響き。
でも、
次に続くコードの流れ次第では、dimは驚くほど自然で、むしろ心地良くすら感じられる瞬間がある。
緊張を生んだからこそ、解放が際立ち、美しさが際立つ。
そんな“組み合わせの妙”が音楽にはある。
それは、
きっと人間関係にも似ている。
そして、住まいづくりにも通じるものがあると、僕は思っている。
僕は大学時代、建築の勉強をしがてら、ロックバンドをしていて、
仲間の中には後にプロで活躍するメンバーもいた。
「一緒にプロになろう」
そんな言葉をもらったけど、僕は「建築をするために、この大学に入った」と断った。
でも、音楽は今でもずっと僕の中にあり、今でも一緒に音楽をしたいと思ってる。
それに「音」と「人」の関係性に、何か大切なヒントがある気がして、今もたまに考えてしまう。
エクリュでの打合せ中、涙される方が今まで何人かおられる(片手では足りない)。
住まいの話なのに、どうして…?と不思議に思われるかもしれない。
でもきっとそれは、僕たちの打合せが、
「本当の自分」に触れることを避けずに進むから。
まだ自分でも触れていない部分に手が届いたとき、
人は涙になることがある。
「悲しい」わけではない。
それは「自分に出会った」瞬間なんだと思う。
だけど、その涙に驚き、恥ずかしさや戸惑いから、二度と訪れない方もいる。
まだ「自分自身を受け入れる準備」が整っていなかったのかもしれない。
もしくは、まだ戦える力が残っているのかもしれない。
(でも、きっと本当は少し疲れているのだとも思う。)
僕は思う。
人ってみんな、凸凹(デコボコ)してる。
完璧な人はいない。
AIみたいに全部を網羅できる存在ではない。
だからこそ、
自分の足りない部分を、誰かの“余白”がやさしく埋めてくれるとき、
そこにdimコードが美しく響く瞬間のような、人と人との調和が生まれる。
僕たちは、同じになる必要なんてない。
むしろ、違うからこそ、美しくなれる。
住まいづくりは、
ただの空間設計じゃない。
「誰(家族)と、どう生きたいか」
その問いに向き合いながら、自分を少しずつ受け入れていくプロセスなんだと思う。
dimな瞬間も、不協和音に感じる瞬間もあるかもしれない。
でもそれが、未来の和音を、もっと深く、もっと豊かにする。
今日もそんなことを、岩見拓馬さんの“月が綺麗”を弾き語りながら、考えていました。
知ってるんでしょう? きっと そう
「ずっと」 なんてないこと