WantsからNeedsへ|必要なものは、最初から分かっていない

前壽則先生は、主にご自宅の庭にある植物を描かれます。
特別な場所に出かけて、「美」を探すのではありません。
いつもの日常の中にあるものに「美」を見出し、それを描きとめておられるのです。
その眼差しが、今日のブログのテーマなのかもしれません。
必要なものは、最初から分かっているのか?

僕が住まいづくりにおいて、ずっと考え続けている言葉に、
Needs(ニーズ)
があります。
エクリュの住まいづくりでは、「継続」がとても重要なキーワードです。
理想の暮らしが、一時的なものではなく、永く続いていくこと。
その「継続」を考える上で、Needsはとても重要なファクターだと考えています。
しかし、ここでひとつ問題があります。
人は、
自分に本当に必要なものを、最初から分かっているのでしょうか?
家を建てる時。
結婚する時。
仕事を選ぶ時。
人生の大きな決断をする時。
僕たちは、いつも何かを選びます。
しかし、その時点で、これから先の人生をすべて経験しているわけではありません。
情報も。
経験も。
十分ではありません。
未来の自分が、何を必要とするのか。
どんな暮らしを続けたいと思うのか。
それを、完全に知ることはできません。
それなのに、
「自分に必要なものを選んでください。」
と言われても、簡単なことではないのです。
Wantsという登龍門

では、どうすればNeedsに近づくことができるのでしょうか。
僕は、
Wants(ウォンツ)を否定してはいけない。
と考えています。
「こんな家がいいなぁ。」
「この家具が好きだなぁ。」
「こんな暮らしができたら素敵だなぁ。」
そう感じること。
それは、とても重要なことです。
なぜなら、
Wantsは、自分の感覚から生まれるものだからです。
理屈より先に、
「いいなぁ。」
と感じる。
「好きだなぁ。」
と感じる。
その感覚には、自分でもまだ言葉にできていない何かが含まれていることがあります。
だから、Wantsを否定してはいけない。
むしろ、
Wantsは、Needsへ向かうための登龍門なのだと思います。
登龍門をくぐらなければ、その先には行けません。
Wantsは感覚、Needsは理解

ただし、
Wantsに惹かれたところで終わってしまってはいけない。
僕は、WantsとNeedsの違いを、
Wantsは「感覚」。
Needsは「理解」。
と考えています。
「いいなぁ。」
これは感覚です。
しかし、
「なぜ、自分はこれをいいと思ったのだろう?」
と考え始めると、少しずつ理解に近づいていきます。
たとえば、
「この家が好き。」
というWantsがあったとします。
なぜ好きなのか。
広いからでしょうか。
素材が好きだからでしょうか。
色が好きだからでしょうか。
それとも、
その家で過ごしている時間を想像した時に、
「自分もこんな時間を過ごしたい。」
と感じたからでしょうか。
さらに考えていくと、
「家族と自然に会話が生まれる暮らしがしたい。」
「外を感じながら暮らしたい。」
「手入れをしながら、ものを大切にしたい。」
というところに行き着くかもしれません。
最初は、
「この家が好き。」
だったものが、
「自分は、こういう時間を大切にしたい。」
に変わる。
そしてさらに、
「自分に必要なのは、この家そのものではなく、この時間なのかもしれない。」
と気づく。
これが、
WantsからNeedsへ。
ということなのだと思います。
Wantsを否定すると、Needsにたどり着けない

Wantsは危険だから、最初から無視した方がいい。
そんな考え方もあるかもしれません。
「見た目よりも実用性。」
「憧れよりも現実。」
「欲しいものよりも必要なもの。」
確かに、それも大切です。
しかし、
Wantsを否定してしまうと、自分の感覚そのものを否定することになってしまうことがあります。
「いいなぁ。」
という感覚は、
自分の中にある何かが反応している証拠です。
だから、まずはその感覚を大切にする。
そして、
なぜ、そう感じたのかを考える。
Wantsを否定するのではなく、
Wantsを入り口にして、自分を理解していく。
その先にNeedsがあります。
WantsからNeedsへ。
そして、
Needsから、さらに深いNeedsへ。
エクリュでは、そんなふうに考えています。
日常の中にあるものを見る

ここで、冒頭の前先生の話に戻ります。
前先生は、ご自宅の庭にある植物を描かれます。
毎日、そこにあるもの。
特別ではないもの。
誰もが見過ごしてしまうかもしれないもの。
その中に、美を見出される。
それは、
「何を見るか」だけではなく、「どのように見るか」
ということなのだと思います。
同じ庭を見ても、
何も感じない人がいる。
雑草にしか見えない人がいる。
手入れの大変さを思う人もいる。
しかし、そこにある植物の姿に美を見出す人もいる。
何か特別なものが、そこに追加されたわけではありません。
変わったのは、
見る人の眼差しです。
僕は、住まいづくりにおいても、同じことがあると思っています。
新しいものを足す。
珍しいものを選ぶ。
強い刺激を加える。
それだけが、豊かな暮らしをつくる方法ではありません。
今、自分の周りにあるものを見る。
今、自分が感じていることを見る。
今までの自分の経験を振り返る。
そこに何があるのかを知る。
その中に、
自分にとって本当に必要なものが隠れていることがあります。
「今」の中に、自分がいる

未来の自分を、完全に予測することはできません。
10年後の自分が何を必要とするのか。
20年後の自分が何を大切にするのか。
それは、誰にも分かりません。
だからこそ、
僕は「今」を大切にしています。
今まで、何を好きだと思ってきたのか。
何に惹かれてきたのか。
何を嫌だと思ってきたのか。
どんな時に、心が動いたのか。
どんな時に、心が動かなかったのか。
自分のこれまでの道のりを振り返る。
そこには、
今の自分をつくってきたもの
があるからです。
今の自分は、
突然、今日できたわけではありません。
これまで歩いてきた日々。
見てきたもの。
出会った人。
経験したこと。
嬉しかったこと。
悲しかったこと。
それらすべてが、今の自分をつくっています。
だから、
自分を知るということは、
自分の中にある情報を集めることなのかもしれません。
住まいづくりは、自分を知ること
住まいづくりは、
「どんな家を建てるか」
を決めることだと思われがちです。
しかし、本当は、
「自分は、どんな暮らしをしたいのか」
を考えることです。
そして、
「どんな暮らしをしたいのか」
を考えるためには、
「自分は、どんな人間なのか」
を知る必要があります。
何が好きなのか。
何が嫌いなのか。
何を大切にしているのか。
何を無理なく続けられるのか。
何を続けると、負担になるのか。
それを考えずに、
「素敵な家」を選んでしまうと、
その家と自分の間にズレが生まれることがあります。
見た目は好き。
憧れていた。
でも、
暮らし始めると、なぜか続かない。
そんなこともある。
だから、エクリュでは、
住まいづくりを通して、自分自身を知ること
が大切だと考えています。
ポプラの枝を見つける
強い刺激を求めていると、
小さなものに気づけないことがあります。
強い香りに包まれていると、
かすかな香りに気づけない。
大きな音の中にいると、
小さな音が聞こえない。
派手なものばかりを見ていると、
目の前にある小さなものが見えなくなる。
でも、
人生に必要なのは、
いつも大きなものとは限りません。
大きな幹や香りの良いポプリではなく、
ポプラの枝かもしれない。
華やかなものではなく、
いつもの日常にある何かかもしれない。
その小さなものに気づける眼差し。
それは、
自分のNeedsに近づくためにも、
ウェルビーイングに近づくためにも、
大切なものなのだと思います。
前先生が、
いつもの庭にある植物に美を見出されるように。
僕たちも、
いつもの日常の中にあるものを、
もう一度見つめ直してみる。
そこには、
まだ自分が気づいていないものがあるかもしれません。
そして僕は、
エクリュが、その「ポプラの枝」でありたいと思っています。
すべてを解決する太い幹ではありません。
強い香りで、すべてを覆い尽くす存在でもありません。
ただ、
その人が自分自身を知ろうとする時に。
その人が、自分にとって必要なものを探す時に。
そっと、そこにある。
そんな存在でありたいと思っています。
必要なものは、最初から分かっていない

僕は、
「自分に必要なものは何ですか?」
と聞かれても、
最初から正確に答えることはできないと思います。
なぜなら、
その人はまだ、
これから先の人生をすべて経験していないからです。
情報も。
経験も。
十分ではありません。
だから、
最初から正解を当てる必要はない。
まずは、
「いいなぁ。」
と感じる。
「好きだなぁ。」
と感じる。
そして、
「なぜ、自分はそう感じたのだろう?」
と考えてみる。
その感覚を、自分の中に戻してみる。
自分のこれまでの経験と照らし合わせてみる。
そうすることで、
少しずつ、
自分にとって本当に必要なもの
に近づいていく。
Wantsは、否定するものではありません。
Wantsは、入口です。
Wantsという登龍門をくぐり、さらに自分を知っていく。
その先に、
Needsがあります。
そして、
そのNeedsが、
自分の暮らしの中で無理なく続いていく時。
そこに、
ウェルビーイングがあるのかもしれません。
前先生の庭にある植物のように。
前先生にとっては、
長い時間をかけて向き合ってきた、
かけがえのない庭の植物です。
ポプラの枝のように。
誰かにとっては、
ただの枝に見えるかもしれない。
でも、
誰かにとっては、
心を支えてくれるものかもしれない。
大切なのは、
それが「特別なもの」かどうかではありません。
自分にとって、どんな意味を持つのか。
それに気づける自分であること。
そのためには、
自分の感覚を無視しないこと。
「いいなぁ。」
「好きだなぁ。」
と感じたことを、
そのまま終わらせないこと。
なぜそう感じたのかを、
自分自身に問いかけてみること。
そうすることで、
Wantsの奥にある、
自分にとって本当に必要なものに、
少しずつ近づいていく。
それが、
理想の暮らしを継続するために必要なことなのかもしれません。

