「帰りたい家」が、人生の「行く」を変える。
衣・食・住

「衣・食・住」という言葉があります。
服には、
「何が好きなのか」
「何が似合うのか」
食事には、
「何を食べたいのか」
「どこで食べたいのか」
多くの人が、自分なりの価値観を持っています。
しかし、「住」はどうでしょう。
家を借りる時。
家を買う時。
家を建てる時。
その時には、皆さん真剣に考えます。
場所、広さ、価格、間取り、性能、デザイン。
しかし、暮らし始めてから、
「自分は、この家でどう暮らしたいのか」
「もっと自分らしい住まいにするには、どう暮らせば良いのか」
そんなことを考え続ける人は、意外と少ないように感じます。
僕は以前から、
「住」の価値は、もっと高めることができるのではないか。
と考えていました。
そして数年前、自宅をプチリフォームした時、その理由のひとつに気付きました。
プチリフォームで、我が家が仕事場になった

我が家は数年前、プチリフォームをしました。
外壁や軒裏の傷みを修繕し、内装の仕上げも少し変えました。
すると、家に帰って来ても、職業上、どこか仕事中のような感覚になるのです。
足場があり、職人さんが作業をしている。
いつもの家なのに、いつもの家ではない。
当然、落ち着きません。
すると、僕たちの気持ちや行動にも変化が現れます。
家に帰りたいと思う気持ちが弱くなり、外食したくなり、
休日も、家にいるより外へ出かけたくなるのです。
行く店まで変わりました
僕が外食するお店は、ほとんど決まっています。
その理由は、外食をする目的が明確だからです。
家では作れない食事をする。
家での食事の参考にする。
時間を買う。
僕にとって外食には、必ず何らかの理由があります。
その目的に合った、費用対効果の高いお店を選んでいくと、おのずと行くお店は固定化していきます。
ところが、リフォーム工事中は、そのセオリーが崩れました。
なぜなら、外食すること自体が目的になってしまったからです。
「何を食べたいのか」ではなく、とにかく外へ出たい。
その結果、これまで行くことのなかった大規模資本のチェーン店やジャンキーなお店にまで足が向くようになりました。
その影響かどうか・・・お腹を壊してしまった日もありました。
まるで、
外に強い刺激を求めて、彷徨うその先で、
世間に揉まれて怪我をする。
自分を探す若者のようでした(笑)。
そう、外へ出たいと言うか、
まさに自分を見失っていたのかも知れません。
帰りたい家、その効果

「家に帰りたい」と思えることが、僕が僕であるためにとても重要なことを知りました。
家が家で無くなり、帰りたいと思う気持ちが落ちた瞬間、外食の仕方、お店までが変わってしまう。
この現象は、日常を愛せず、非日常と言う刺激に走る姿であることに他なりません。
逆に「家に帰りたい」との発想は、
自分の日常を大切にして愛する行動です。
もっと言うなら、
自分にとって大切なモノを大切にしている行動なのです。
リフォーム工事中でない時の僕は、
意味のある外食ができて、お腹を壊すことも無かった。
それは、家での食事が満たされているから
わざわざ意味の薄い外食にお金を出す気もしないのです。
外食するのには、単に刺激を求めることは無く、きちんとした意味があったのは、帰りたいと思える家のおかげであったと気付いたのです。
僕が浮つかないきちんと僕であるには、帰りたい家である必要がある。
プチリフォームの経験から、そう思うのです。
「帰る」があるから、「行く」がある
そもそも、目的を持ってどこかに「行く」には、
「帰る」場所があってのこと。
帰る場所が無ければ、彷徨っているに他なりません。
そう考えると、
強く「帰りたい」と思える場所があって、人はきちんと外へ行くことができる。
そんなふうに思うようになりました。
それは、
僕自身、家に帰りたいと思っている時、外食先にきちんと意味があり、費用対効果が高かった。
逆に、帰りたいとあまり思えない状況下では、単純に刺激を求める選択になっていた。
その経験からです。
帰りたいとの意識があってこそ、目的を持っての「行く」につながり、帰りたい意識が希薄な状況では、行くでは無く彷徨うに近い状況になることを実感しました。
帰属する場所が、自分をカタチづくる
僕がリフォーム工事中に体験したことは、
「家が汚かったから外食したくなった」
という単純な話ではありません。
食材も、食器も、家具も、は変わっていない。
確かに景色は変わったけど、それより重要なこと。
実は明確に変わったのは、
僕と家との関係性
です。
「ここが自分の居場所だ」
という帰属意識の変化です。
その感覚が弱くなった時、僕は外へ刺激を求め始めました。
普段なら選ばないような場所にも足が向いた。
目的があって行くのではなく、外へ出ること自体が目的になってしまった。
その経験から僕は気付きました。
「帰る」という意識が、自分の行動や価値観の基準点になっていることを。
「帰りたい場所」があるからこそ、外へ出た時にも、
自分はどこへ行きたいのか。
何をしたいのか。
誰と過ごしたいのか。
何に時間を使いたいのか。
そんなことを、自分の安定した価値観で判断できる。
つまり、
強い「帰りたい」が、自分の価値観や思考、目標や目的に、ひとつの方向性を与えてくれる。
「帰りたい」が「軸」となる。
僕はそんなふうに考えています。
「住」の価値を高めるとは、帰りたい気持ちを高めること

「衣」には、
何を着たいのか。
「食」には、
何を食べたいのか。
自分なりの価値観を持ち、選んでいる人は多いように感じます。
しかし、「住」はどうでしょう。
家を建てる時には一生懸命考える。
けれど暮らし始めると、いつの間にかその場所が当たり前になる。
何となく過ごす。
何となく物が増える。
何となく不便に慣れる。
そして何となく、「こんなもの」になっていく。
しかし住まいは、ただ寝るための場所でも、雨風をしのぐだけの場所でもありません。
僕たちは毎日、そこから出掛け、そしてそこへ帰って来ます。
住まいは、人生の様々な「行く」の起点であり、終点でもある。
だからこそ、「住」の価値を高めることは、単に豪華な家にすることでも、高価な家具を買うことでもない。
「ここへ帰りたい」
そう思える場所にしていくこと。
そこに、住まいが人に与える大きな意味があるのではないでしょうか。
「帰る」があるから、「行きたい」が見えてくる
今回の経験を通して、僕は、
「帰る」があるから、「行く」が存在する。
と感じるようになりました。
帰りたい場所がある。
そこに自分が戻る。
だからこそ外へ出た時にも、
「自分はどこへ行きたいのか」
「何をしたいのか」
「誰と過ごしたいのか」
「何に時間を使いたいのか」
そんなことを、自分なりに考えることができる。
旅行も。
外食も。
買い物も。
ただ外へ出ることが目的になるのではなく、
「自分は、何のためにそこへ行くのか」
という意味を持つようになる。
そして、また帰る。
僕は住まいとは、人生を閉じ込める場所ではなく、
自分らしく「行く」ために、何度でも「帰る」場所。
なのだと思うのです。
だからこそ、「住」の価値を考えることは、家の中だけの話ではありません。
もしかすると、
その人が、どんな人生を「行く」のか。
そのことにまで、住まいは関係しているのかもしれません。
帰自の家

今回、「帰る」ということについて考えているうちに、ある住まいのことを思い出しました。
「帰自の家」
「住まいに帰る」ことが、「自分に帰る」ことでもある。
この住まいでは、外で様々な役割を担い、多くのことに向き合う日々の中で、家へ帰った時くらいは肩の力を抜き、本来の自分へ戻ることができる。
そんな環境を考えました。
お気に入りのものに囲まれた空間。
柔らかな光。
ゆっくり身体を休める時間。
使いやすく整えられた場所。
それらは、単に便利であるためだけに存在するものではありません。
「帰ってきた」
と感じるための、ひとつひとつの要素でもあるのだと思います。
そして、自分へ帰ることができたなら、また翌日、新しい場所へ向かうことができる。
「帰る」があるから、また「行く」ことができる。
そんな住まいも、あっていいのではないでしょうか。