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思い描いた通りにならないから、暮らしは面白い。46.5坪から32.5坪へ圧縮した我が家

不条理

 
ホルムズ海峡

ホルムズ海峡の状況。

奇抜な政治家。

戦争、関税、資源、物価。

僕たちの力ではどうしようもなく、受け入れるしかないことが、確実に存在します。

最近は、見積書の有効期限を強調したり、近い将来の定価改定がある旨の記述があったり。

価格に、世の中の不安が転換されているように感じることもあります。

もちろん、僕たちの力でどうにかできることではありません。

人災でなくても、天災によって、何かの材料が取れなくなったり、入ってこなくなったりすることは、これまでもありました。

良い出来事も。

悪い出来事も。

僕たちの意思とは関係なく起こり、暮らしに影響を与えます。

人生には、自分ではどうしようもないことが、確実にある。

それは、受け入れるしかありません。

しかし一方で、

自分たちでできることまで、どうしようもないことにしてしまう必要はない。

僕は、そんなふうにも思います。


46.5坪から32.5坪へ。我が家の劇的な圧縮

 
実は、我が家(遊び心の家)を建てる際、これまで経験したことのない、唯一無二の経験をしています。

そのひとつが、考えられないほどの減額です。

自分の家ということで、今までしたことのないチャレンジを、いろいろと試みました。

たとえば、ペアガラスの製作限界寸法に挑戦したり。

墨コンを使ってみたり。

金額がいくらになるのかどころか、そもそも実現できるのかどうかも分からないまま、検討を進めていたものもあります。

その結果、

大幅な予算オーバー。

そして最終的に我が家は、

46.5坪から32.5坪へ。

約30%もの面積を圧縮することになりました。

今、改めて数字にすると、なかなかの圧縮です。


ワクワクするプランほど、顔が歪む

 
このブログを書くにあたり、最初から現在に至るまでのプランを見直しました。

ファサードについては、初期のType-02から、実際に建った「遊び心の家」まで、ほとんど変わっていません。

しかし、平面計画は大きく変わりました。

Type-02には、子供部屋が6畳×3室。

主寝室は8畳。

お風呂の前には箱庭があり、ウッドデッキの先には植栽がある。

外からの視線を完全に遮ることで、裸のまま外に出ることができ、露天風呂のような気分を味わえる。

今、文字にしてみても、ワクワクするプランです。

こんな家に住めたら、きっと楽しいだろうと思います。

しかし、

そのType-02の平面図を見ている僕の顔は、かなり歪んでいました。

もし、その時の写真が残っていれば、皆さんに見ていただきたかったくらいです。

なぜなら、

「これ、維持できるか?」

と思ったからです。

毎日、お風呂に入るたびに、箱庭やウッドデッキの状態が気になる。

毎朝、外の景色を眺めるたびに、手入れできていない植栽や汚れが目に入る。

そんなことになれば、僕はきっと、

「気にしないようにしよう。」

と考え始めてしまう。

でも、それは本当の意味でくつろぐことではありません。

感じないようにすることです。

そして、感じないようにすることは、住まいの中にある負荷を発見する能力を、自分から手放していくことでもあります。

14年経った今も、我が家はいつでも誰でも招くことができる状態を保っています。

しかし、もしあのままのプランで建てていたら。

僕は、その感覚すら失っていたかもしれません。

そう思うと、ワクワクするプランを前にして顔が歪んだ理由も、お分かりいただけると思います。


ニーズから、さらにニーズへ

 
我が家が圧縮したのは、面積だけではありません。

細かい話をすれば、コンセント1個から絞り込みました。

「ここのコンセント、本当に使うかな?」

そんなふうに、ひとつひとつ検討していきました。

失くすもの。

残すもの。

必要なもの。

不要なもの。

もちろん、そこまで考えても、実際には一度も使ったことのないコンセントも残っています。

まだ、さらに絞り込む余地はあったのでしょう。

とは言え、コンセント1個ずつと全て向き合い選択しました。

収納も、限界まで減らしました。

今ある服の量を把握し、それらが収まる最低限の広さを考えました。

子供部屋は、最終的に3畳。

主寝室は4畳。

各部屋に設けていたクロゼットは、長女の部屋を除いて、ほぼウォークイン・クロゼットに集約しました。

それでも、

そのウォークイン・クロゼットさえ、圧縮の対象になりました。

しかし、そこで削った面積を使って、どうしても残した場所があります。

それが、廊下にチェストを置くためのスペースでした。


収納を削ってまで残した場所

 
廊下の一角に、チェストを置くためのコーブ(凹み)を設ける。

そこにヴィンテージ家具を置き、その上にスタンドやオブジェを飾る。

スタンドの照明は、廊下のダウンライトのスイッチと連動させる。

廊下の照明を兼ねた、ひとつの風景です。

このスペースは、イメージ・マップの分析から生まれました。

我が家にとっては、収納を増やすよりも、

暮らしの雰囲気をつくるために必要な場所だった。

だから、ウォークイン・クロゼットの広さをさらに検討し、その一部を削って、このコーブをつくりました。

人によっては、

「そのスペースも収納にした方が良いのでは?」

と思うかもしれません。

それも、ひとつの正解です。

しかし、我が家にとっては、雰囲気もまた、とても重要なファクターでした。

家は、物を収納するためだけのものではありません。

その人が、その家族が、

「ここで暮らしている」と感じるためのものでもあります。


10年以上、見つからなかった家具

 
当初、このコーブに置く家具は、イギリスやフランスなど、ヨーロッパの古い家具をイメージしていました。

古いチェスト。

その上にスタンド。

さらにオブジェ。

そんな風景を思い描いていました。

しかし、家具が決まりません。

インターネットで探したり。

家具屋さんで探したり。

アンティークショップを見たり。

それでも、なかなか見つからない。

気がつけば、10年近く探し続けていました。

そんなある日、

父が再婚することになりました。

80歳での再婚です。

奈良の家をたたみ、大阪で二人暮らしをすることになりました。

実家を解体することになり、

「いる物は持って行っていいよ。」

と父から言われました。

その時、

我が家にやって来ることになったのが、

この李朝家具(バンダチ)とガンダーラの仏像でした。

我が家の運命のコーブのデコレーション。コレがneeds

子供の頃から、実家にあった家具と仏像です。

ずっと見てきたものです。

だからでしょうか。

我が家にやって来た時、妙に落ち着きました。

しかも、

測ったかのように、
コーブにぴったり収まりました。

10年近く探しても見つからなかった家具が、

父の80歳での再婚という、
僕には予想もできなかった出来事をきっかけに、
我が家にやって来た。

しかも、

まるで最初からそこに置かれることが決まっていたかのように。

運命というのは、こういうことを言うのかもしれません。


Wantsの先にあるもの

 
もともと僕が欲しかったのは、

「ヨーロッパのヴィンテージ家具」

でした。

しかし、今の我が家にある李朝家具を見ていると、ふと思います。

僕が本当に欲しかったのは、

ヨーロッパの家具だったのでしょうか。

それとも、

長い時間を経た家具が、廊下の一角に佇み、暮らしの雰囲気をつくること

だったのでしょうか。

もし僕が、

「ヨーロッパのヴィンテージ家具でなければ意味がない。」

と決めていたら、今のこの風景は生まれていません。

最初に思い描いたものとは、まったく違う。

でも、

これ以上の物語はないと思っています。

子供の頃から見てきた家具。

父が大切にしてきたもの。

そして、父の人生の大きな変化によって、我が家に引き継がれたもの。

そこには、

単なる家具以上の意味があります。

このことを考えると、

Wantsの先には、さらに深いNeedsがある。

そんなふうにも思います。

「ヨーロッパの家具が欲しい。」

というのは、Wantsです。

しかし、その奥には、

「時間を経たものが好き。」

「暮らしの中に物語が欲しい。」

「空間に雰囲気をつくりたい。」

という、より深いNeedsがあったのかもしれません。

だからこそ、

最初に思い描いたものとは違うものでも、

自分にとって大切なものになったのだと思います。


自分で選べることと、選べないこと

 
ここで、冒頭の話に戻ります。

ホルムズ海峡の状況。

政治家の判断。

戦争。

関税。

資源。

物価。

それらは、僕たちの意思とは関係なく起こります。

そして、暮らしに影響を与えます。

どうしようもないことは、どうしようもない。

そこに対して、

「なぜ自分ばかり。」

と嘆き続けても、状況が変わるとは限りません。

だからこそ、

自分で選べることと、選べないことを分ける。

それが大切なのだと思います。

我が家を46.5坪から32.5坪へ圧縮すること。

コンセントをひとつずつ検討すること。

収納を減らすこと。

自分にとって何が必要なのかを考えること。

これは、僕が選べることでした。

一方で、

10年以上探していた家具が見つからないこと。

父が80歳で再婚すること。

実家を解体すること。

そこから李朝家具とガンダーラの仏像が我が家にやって来ること。

これは、僕が計画したことではありません。

しかし、

選べないことを受け入れた先に、思いもよらないものがやって来ることがあります。


精一杯することと、受け入れること

 
僕の座右の銘のひとつに、

人間万事塞翁が馬

があります。

良いこと。

悪いこと。

それは、最初から決まっているものではないのかもしれません。

自分の望む方向に向かって、

精一杯できることをする。

Wantsを見つめる。

そして、その奥にあるNeedsを考える。

必要なものを残し、

不要なものを手放す。

そのために、時には大きな痛みを伴う圧縮もする。

しかし、

それだけではありません。

自分では予想もできないこと。

自分ではどうしようもないこと。

それらも、人生には起こります。

その時、

「なぜこんなことが起こったのか。」

と嘆き続けるのではなく、

できるだけ早く受け入れる。

そして、

そこからまた、自分にできることを始める。

そんな行動を、何の迷いもなく始められる心の状態。

それを、

ウェルビーイングと呼ぶのかもしれません。

なぜなら、

人生は塞翁が馬だからです。

良いことが起こることだけが、ウェルビーイングではない。

悪いことが起こらないことだけが、仕合わせでもない。

自分ではどうしようもないことが起こった時、

それを受け入れ、

そこからまた、

自分にできることを始められる。

そのこと自体が、

すでに仕合わせなのかもしれません。


人生は、思い描いた通りにはならない

 
僕は、我が家を建てる時、

46.5坪のプランから32.5坪へと、約30%の圧縮をしました。

それは、

「小さな家にしたかったから」

ではありません。

「面積を減らせば良い住まいになる」

と思っていたわけでもありません。

ただ、

この暮らしを、14年後も続けられるのか。

そこを考えました。

そのために、

WantsからNeedsへ。

そして、

NeedsからさらにNeedsへ。

自分にとって、本当に必要なものは何なのか。

それを、ひとつひとつ考えました。

その結果、

失ったものもあります。

広い子供部屋。

大きな主寝室。

箱庭のあるお風呂。

露天風呂のようなウッドデッキ。

大きな収納。

壁一面の本棚。

いろいろなものを諦めました。

でも、

14年経った今も、

我が家は、

いつでも誰でも、人を招くことができる状態を保っています。

それは、僕にとって大きな意味があります。

そして、

10年以上探し続けても見つからなかった家具は、

父の80歳での再婚という、

僕には予測もできなかった出来事によって、

我が家にやって来ました。

その李朝家具は、

まるで最初からそこに置かれることが決まっていたかのように、

我が家のコーブに収まっています。

人生は、

思い描いた通りにはなりません。

だからこそ、

自分でできることは、

できる限り深く考える。

自分のNeedsを見つける。

そして、

自分ではどうしようもないことが起こった時には、

それを受け入れる。

その先に、

自分が想像していたものとは違う、

もっと素敵なものが待っていることもある。

そんなことを、

我が家の廊下に置かれた、

李朝家具とガンダーラの仏像を眺めながら、

ふと思うのです。

自分で選べることには、精一杯向き合う。

自分で選べないことは、受け入れる。

そして、

そのどちらも、自分の暮らしをより良くするために必要なことなのかもしれません。