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ブログ

居場所は、間取りに描けるだろうか?

家ではなく、居場所に帰っていた。

 
僕は、静謐な空間こそが、
自分にとって最高の居場所
だと信じていました。

ルイス・バラガンが語ったように、
静謐な空間には、人の苦悩を癒やす力がある。

僕も、そう感じていたからです。

だから我が家は、
できるだけ余計なディテールを省き、
ミニマルな空間にしました。

そこへ、
静かに佇む仏像や、
じっくり見なければ気づかないほど静かな抽象画を飾る。

家具の距離感にも気を配り、
空間全体が深く息をしているような、
そんな静寂を目指しました。

その空間に帰ってくると、
一日まとった緊張が、
少しずつほどけていく気がするのです。

僕は、
静謐な空間が好きなんです。

静謐な空間


ところが、
そんな静寂は長く続きません。

仕事を終え、
玄関の扉を開けると、

「おかえり!」

その一言を皮切りに、
妻のマシンガントークが始まります。

今日あった出来事。

スーパーでゴーヤが安くなっていた話。

スマホで見つけたどうでもいい動画の話。

「そういえばね」と始まる親戚の話。

時には、
耳の痛い話まで飛んできます。

せっかくの静寂は、
あっという間に崩れ去ります。

「もう少し静かにしてくれたらいいのに。」

そう思ったことも、一度や二度ではありません。


ある日のこと。

妻は子どもの用事で、
一人、実家へ帰っていました。

その日、
仕事を終えた僕は、
少しだけ嬉しい気持ちで家へ向かいます。

今日は静かだ!

灯りを少し落として、
マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴを聴きながら
ゆっくりコーヒーを淹れよう。

誰にも話しかけられない、
完璧な静寂が待っている。

そう思っていました。


玄関を開ける。

静かです。

リビングも。

ダイニングも。

家全体が、
僕の好きな静寂に包まれていました。

なのに。

なぜでしょう。

いつものソファに座っても、
身体が沈んでいきません。

何だか落ち着かないのです。

コーヒーミルで豆を挽き、
丁寧にドリップする。

湯気の向こうには、
いつもと変わらない景色があります。

でも、
横を見ると、
そこに妻はいません。

一口飲んでみても、

いつもの深みがありません。

美味しいはずなのに、
何かが足りないのです。


その時、
ふと気づきました。

そうか。

僕は、
家に帰っていたんじゃない。

妻のいる家に、
帰っていたんだ。

静寂を壊していたと思っていた、
あのどうでもいいような話。

スーパーの話も。

ネット動画の話も。

親戚の話も。

耳の痛い話さえも。

あれは、
静寂を壊していたんじゃなかった。

あれもまた、
この家の景色だったんだ。

僕が帰りたかったのは、
静かな空間だけじゃない。

あの騒々しさも含めて、
僕の居場所だった。

あの日、一人きりの家で飲んだコーヒーは、
いつもより少しだけ苦く感じました。

その雑味が、
教えてくれたのです。

人は、
家に帰っているのではなく、

居場所に帰っている。

僕の帰るべき居場所は、騒々しい妻のいる静謐な我が家


居場所は、間取りに描けるだろうか?

 
あの日、気づいたのです。

僕がくつろげる居場所は、
ミニマルな空間ではありませんでした。

妻だけでもありません。

その二つの関係性だったのです。

静かな空間があるから、
妻の騒々しさが愛おしい。

妻がいるから、
静寂がより深く感じられる。

居心地とは、
モノだけでも、
ヒトだけでも生まれません。

ヒト、モノ、トキ、
そして空間。

その関係性が重なった時、
初めて「居場所」になるのだと思います。

間取りには、
部屋は描けます。

でも、
居場所は描けるのでしょうか。

図面の中には、
妻の笑い声も、
コーヒーの香りも、
「おかえり。」の一言も、
描くことはできません。

だから住まいづくりは、
家を考えることではなく、
帰りたくなる毎日を考えることなのかもしれません。

あなたが帰りたいのは、家ですか。それとも、居場所ですか。

僕の心地よい居場所


追伸。

このブログを書き終えて気づきました。

今日が、
妻との結婚記念日でした。

偶然なのか、
必然なのかは分かりません。

でも、
「居場所とは何だろう。」
と考えた日に、
その相手へ感謝を伝えられることは、
とても幸せなことなのだと思います。