我が家は、物語に溢れている|物語を纏ったモノと暮らす、消えにくい魔法
我が家は、物語に溢れている

我が家には、物語が溢れています。
リビングのセンターテーブルの上にある螺鈿のお盆。
その中に置かれた漆塗りの櫛。
片隅に置いてあるギター。
LC1やソファー、クッションカバーに至るまで。
我が家にあるものには、それぞれ、ここに至るまでの物語があります。
それは、偶然の出来事とは少し違うように思います。
もちろん、偶然がきっかけになることはあります。
しかし、そこに「必然性」を感じるのは、
僕ら夫婦が、一つひとつのモノと向き合い、
一人ひとりのヒトと向き合ってきたから
なのだと思います。
時間をかけることに、意味はあるのか?

(仮称)松岡観音の家のお施主様は、一つひとつのご決定に、とても時間をかけられました。
迷われることもありました。
考えられることもありました。
そして僕らは、可能な限り、その時間にお付き合いしました。
ただ、
時間をかけること自体に価値がある。
と考えているわけではありません。
時間をかければ、必ず良い結果になるとも思っていません。
大切なのは、
時間をかけて、一つひとつのことに向き合うこと。
なのだと思います。
「これは、本当に自分たちに必要なのか?」
「これからの暮らしの中で、どのように使うのか?」
「この選択を、これからも大切にしていけるのか?」
そんなことを考える。
その時間が、そのモノや、その住まいとの関係性になっていく。
僕らは、そう考えています。
だからこそ、その時間と、その姿勢が、
ウェルビーイングが継続される住まい
をつくる上で、とても重要なのだと、僕らは深く知り、深く感じています。
向き合うことで、関係性が生まれる
そんな僕らだからこそ、
我が家「遊び心の家」や、そこにある一つひとつのモノと、時間をかけて向き合っているのは、当然のことなのかもしれません。
その結果、
我が家には、一つひとつのモノに物語が宿ることになりました。
これは、偶然ではなく、必然なのだと思います。
時間をかけて向き合う。
すると、そこに関係性が生まれる。
関係性が生まれると、そのモノは、ただの「モノ」ではなくなっていく。
そこに、
「ここに至るまでの背景や経緯、出来事」
が重なっていく。
そして、それらが、
物語
になっていく。
僕は、そんなふうに感じています。
物語を纏ったモノは、消えにくい

物語を纏ったモノには、不思議な力があります。
それは、
消えにくい魔法
のようなものです。
そして、その魔法の効力は、
ウェルビーイング(仕合わせ)
なのだと思います。
物語の量は、
関係性の強さに比例する。
僕は、そんなふうにも感じています。
たとえば、我が家には、父の持ち物があります。
その持ち物が我が家に来たきっかけは、
父が80歳で結婚したこと。
その出来事を思い出すたびに、僕は笑みがこぼれます。
その物に触れるたびに、父のことを思い出します。
この物語が、僕の記憶から消えることは、きっとありません。
それどころか、時間が経つほど、その物は僕の中で輝きを増していくように思います。
その物が、僕にとってかけがえのない存在になるのは当然です。
僕とその物との間には、強い関係性があるからです。
希少価値とは、誰が決めるものなのか?

僕らの家には、古伊万里の器もあります。
ただ、一般的な意味での「希少価値」が、とても高い器というわけではありません。
市場での評価や、金銭的な価値だけを考えれば、もっと希少な器はたくさんあるでしょう。
でも、
僕らにとっては、かけがえのない器です。
僕らの物語を纏っているからです。
それを、
希少価値
と言わずに、何を希少価値と言うのでしょうか?
江戸初期の器。
尾形乾山や魯山人の器。
そうした器には、一般的な意味での希少価値もあります。
それはそれで、十分に価値のあることです。
お金があるなら、僕だってそんな器が欲しい。
正直に言えば、そう思います(笑)
でも、
「高価だから、使うのが怖い。」
となってしまうと、
僕の場合、少し違うのかもしれません。
なぜなら、
物語を纏ったモノは、使ってこそだからです。
物語を纏ったモノは、使ってこそ

物語を纏ったモノは、
仕舞い込んでいるだけでは、その力を発揮しません。
使ってこそ。
手に取ってこそ。
日々の暮らしの中で、何度も触れてこそ。
その物語は、現在へと続いていきます。
大切な人から譲り受けた器を、食卓で使う。
その器に料理を盛る。
家族と食事をする。
その器を手に取るたびに、譲ってくれた人のことを思い出す。
そこには、過去の物語だけではなく、
今日の物語
も加わっていきます。
物語は、使うことで終わるのではありません。
使い続けることで、さらに続いていくのです。
だから、
物語を纏ったモノと暮らすということは、
過去の物語を保存することではありません。
過去の物語を、今日の暮らしへとつなぐこと。
なのだと思います。
モノが人を大切にする

「人がモノを大切にする」ということは、想像しやすいと思います。
でも、
モノが人を大切にする。
そう言うと、
「どういうこと?」
と思われるかもしれません。
僕は、物語を纏ったモノたちと暮らすことで、満たされています。
それは、モノたちからの贈り物だと思っています。
何の思い入れもないもの。
壊れたら、また買えばいいもの。
他のものでも代わりがきくもの。
そんなものだけに囲まれて暮らすことを想像してみてください。
一方で、
手に取るたびに笑みがこぼれる器。
大切な人から譲り受けた器。
長い時間をかけて選んだ家具。
自分たちの暮らしの中で、何度も使い続けてきたもの。
それらと暮らす毎日。
モノから受ける影響が違うことは、きっと想像できると思います。
モノは、ただそこにあるだけではありません。
僕らがそのモノと向き合い、
時間をかけ、
使い続け、
物語を重ねることで、
そのモノは僕らの暮らしの一部になります。
そして、その存在が、
僕らの心を満たしてくれる。
それを僕は、
モノから大切にしてもらっている
と感じるのです。
我が家の大規模減額と、一つひとつのコンセント
以前、我が家の大規模減額、大規模圧縮について書きました。
我が家は、当初の計画から30%も圧縮されました。
これは、それ自体が大きな出来事です。
でも、
僕にとっては、それ以上に大切なことがあります。
それは、
一つひとつのコンセントと向き合ったこと。
「ここに本当に必要なのか?」
「ここで何をするのか?」
「これからの暮らしで、どのように使うのか?」
一つひとつの場所と向き合いました。
それは、単にコンセントの数を減らす作業ではありません。
自分たちの暮らしと向き合う作業でした。
その結果、
我が家は、当初の計画から大きく圧縮されました。
しかし、14年以上経った今でも、
我が家はいつでも人を招くことができます。
それは、
家を建てる時に、
自分たちの暮らしと一つひとつ向き合った時間が、
今の暮らしの中で続いているからです。
そして、その姿勢は、
家の中にある一つひとつのモノにもつながっています。
我が家にあるモノたちは、
ただ「買ったもの」ではありません。
選んだ時間があり、
出会った時間があり、
使ってきた時間がある。
その時間の積み重ねが、
それぞれの物語になっています。
物語のある住まいは、暮らしを支えてくれる
住まいは、
壁や床や天井だけでできているのではありません。
そこにある一つひとつのモノ。
一つひとつの選択。
一つひとつの時間。
それらが積み重なって、
住まいになっていきます。
そして、
一つひとつに向き合った経験は、
何年経っても消えません。
むしろ、
時間が経つほど、
その物語は深くなっていきます。
家を建てた時が完成ではありません。
暮らし始めてから、
一つひとつのモノと向き合い、
使い続け、
物語を重ねていく。
その結果、
住まいは、自分たちだけのものになっていきます。
時間をかけて向き合ったものは、
関係性を持つ。
関係性を持ったものは、
物語を纏う。
物語を纏ったものは、
暮らしの中で、自分たちを支えてくれる。
僕は、そう考えています。
「仕合わせやなぁ〜」と、こぼれる暮らし

西川きよし師匠ではありませんが、
「仕合わせやなぁ〜」
と、ふとこぼれる瞬間があります。
大切な器で食事をしている時。
何気なく、父の持ち物に触れた時。
家族と笑っている時。
長い時間をかけて選んだものに囲まれている時。
それは、派手な幸福ではないかもしれません。
でも、
確かに満たされている。
僕は、これをウェルビーイングと言わずに、
何をウェルビーイングと言うのだろうと思います。
物語を纏ったモノと暮らす。
そして、そのモノを使い続ける。
物語を、過去のものにしない。
今日の暮らしの中で、
また物語を重ねていく。
それは、
モノと人との関係性を育てること
なのかもしれません。
そして、
物語の量は、関係性の強さに比例する。
我が家が物語に溢れているのは、
偶然ではありません。
僕らが、
一つひとつのモノと向き合い、
一人ひとりの人と向き合い、
時間をかけて関係を育ててきたからです。
時間をかけること自体に、
特別な価値があるわけではありません。
しかし、
向き合うための時間を惜しまなかったものには、
少しずつ関係性が生まれます。
そして、その関係性が、
物語を生みます。
その物語は、
時間が経つほど深くなり、
使い続けるほど現在の暮らしに溶け込んでいきます。
だから我が家には、
今日も物語が増え続けています。
そしてその物語は、
僕らの暮らしを、
今日もそっと支えてくれています。
時間をかけて向き合ったものは、
物語を纏う。
その物語を纏ったモノと暮らすこと。
それは、
僕らの暮らしにとって、
消えにくい魔法なのかもしれません。
そして僕は、
その魔法を、
「仕合わせやなぁ〜」
と呼びたいと思います。

