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ジャイアンのような人間と、支配されない4分の1

興醒めする出来事

 
ワールドカップ

スポーツは美しい。

だからこそ、
とても残念に感じます。

本来なら、
多くの感動が生まれるはずだった舞台。

筋書きのないドラマ。

限界まで身体を使い、
勝利を目指し、
世界中の人々を熱狂させる。

そんな場所で、
人間の醜さが見えてしまうことがあります。

力の論理。

支配。

恐怖。

利益。

そういうものが見えてしまうと、

「結局、人間なんてこんなものなのか」

と、
少し興醒めしてしまいます。


ジャイアンのような人間

 
ジャイアン

僕は、
人間には誰しも、
ジャイアン的な部分があると思っています。

力を持てば使いたくなる。

優位に立てば支配したくなる。

愛情によって心を動かすよりも、
恐怖の方が人は反応しやすい。

だから歴史の中で、
哲学や宗教、
倫理や法律は、

人間のジャイアン性を少しでも抑えようと、
長い時間をかけて築かれてきたのだと思います。

しかし、
どれだけ理想を掲げても、

時々、
大きなジャイアンが現れる。

そして僕たちは、
そのたびに落胆します。


目線を合わせるのか

 
もちろん、
間違っていることに対して、
声を上げることは大切です。

でも、
そこばかりを見続けることは、

ある意味、
その価値観に目線を合わせ続けることでもあります。

醜い力の論理に、
自分まで巻き込まれてしまう。

つまり、
気付かないうちに、
その価値観に支配されてしまう。

そうではなくて、

僕は、
もっと美しいものを見ていたい。


それでも残る美しさ

 
そこには、

足が止まるまで走り続ける人がいた。

何万人の前で責任を背負う人がいた。

敗れても相手を称える人がいた。

身体を張って守ろうとする人がいた。

諦めず、
仲間を信じ続ける姿があった。

人間の本質が、
ジャイアン的な部分を持っていたとしても、

そこには確かに、
それを超えようとする人たちがいる。

そして、
その姿は、
やはり美しいと思うのです。


要は自分

 
世界は変えられない。

人間の本質も、
きっと簡単には変わらない。

でも、

何を見るかは選べる。

醜いものを見るのか。

美しいものを見るのか。

それは、
結局、
自分自身の選択です。

世界がどうであれ、

最後まで走り続ける人を見ていたい。

誰かに敬意を払える人を見ていたい。

諦めず応援し続ける人を見ていたい。

そうやって生きて行けるかどうか。

結局、
問われているのは、
世界ではなく、

自分なのだと思います。


支配されない自分

 
ショーペンハウアーは、

「我々は、他人と同じようになろうとして、自分自身の4分の3を失ってしまう」

と言葉を残しました。

でも僕らには、
まだ4分の1が残されています。

それは、

何者にも支配されない部分

僕が僕である部分

僕らの選択が許された部分

です。

住まいづくりにおいても、
その残されたサンクチュアリを穢さないこと。

何者にも支配されない4分の1を、
暮らしの中に残すこと。

エクリュは、
そんな住まいづくりを目指しています。

何者にも支配されない住まいづくり