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合わせ柿

毎年この時期になると妻の実家から送られてくるのは、合わせ柿。

実家の庭にある柿の木は、妻が生まれる前からあったので、合わせ柿が送られてくると決まって、子供の頃の思い出話が始まる。

その思い出話の中に毎回出てくるのは、父の話。

合わせ柿は、父が作っている。
そして、食べるタイミングは父が図っている。
しかし、そのタイミングを外し、未だ渋が抜けない柿を食べさせられた事が、毎年話に上がる。

今年も妻が父にお礼の電話をして、いつ頃食べられるのかを聞いた。
すぐ食べてOKとの事で早速数個剥いて食べた。
ひとつアウトだった。

「どうしていつも余裕を持って伝えてくれないのか?」
妻が今年も怒り気味に言う。
今年もまた、柿にまつわる思い出がひとつ増えた。

美味しいそうに見える柿。
目を肥やしたら、渋を見分けられるのか?
最近福井でよく出没しているクマなどは、ちゃんと甘い柿を見つけて食べるのだから、何か見分け方があるのかも知れない。

しかし、毎年の様に渋を引き当てる強運の妻は、何度経験しても違いを見分ける事が出来ない。

見た目だけでは、わからない事ってたくさんある。

そもそも柿が美味しいのは、子供の頃からの思い出話と共にいただくからというところも大きい。
「物より思い出」とのキャッチコピーがあったが、まさにそうだと思う。

見た目は大事だ。
だけど見た目に目を奪われて、更に大事な事を見失うのなら、目を閉じた方が良い。

ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから

そうブルーハーツも言っている。

実家から合わせ柿が送られてきた。
妻には、柿を取りヘタを焼酎につけ、発泡スチロールの箱に並べて詰めている父の姿が脳裏に浮かんでいるのだろう。
そして、柿を口にした瞬間、ブワーッと渋が口の中に広がる感触を思い出し顔を歪める。
で、また今度もあの話を僕にする。