工芸品と幸福感──触れて感じた、視点の深まりと心の在り方
工芸品と幸福感──触れて感じた、視点の深まりと心の在り方

私たち夫婦は、工芸品と幸福感のつながりについて、時折深く考えることがあります。
焼き物などを求めて旅に出るときには、必ず地元の博物館や美術館にも立ち寄るようにしています。
信楽焼や越前焼、京焼や九谷焼など、その土地で作られた器や工芸品に触れることで、ただ「買う」のではなく、背後にある歴史や文化にも触れたいと思ってきました。

例えば、石川県立美術館が所蔵する野々村仁清の国宝「色絵雉香炉」を実際に見たことがあります。
書籍やネットでは伝わらない、圧倒的な存在感と技術の結晶に触れた体験でした。
こうした工芸品に触れ続けることで、物を見る目──審美眼が少しずつ育ってきたと感じています。
工芸品と幸福感──それは本当に「幸せ」なのか?
しかし、ある日こんな疑問が湧きました。
「この感覚の先に、本当の幸福感はあるのだろうか?」
審美眼が育つと、欲しいと感じる器も自然と高価になっていきます。
もちろん、不適正な価格の工芸品を手にする確率は減りました。
けれど、その反面「価値があるもの」「希少なもの」ばかりを追ってしまってはいないか。
工芸品の価値と幸福感の間で、ふと立ち止まりたくなったのです。
日常の中の幸福と工芸品の役割
「シアワセ」とは、すでにここにあるもの──日々の暮らしや当たり前の日常に、ふと感謝できる感性だと思っています。
それなのに、どこか「もっと良いものを」「もっと評価されるものを」という思いが自分の中に芽生えていることに気づきました。

工芸品を「歴史」や「技術」で評価することはもちろん大切です。
ただ、それはある意味では“共通認識”であり、アカデミックな評価軸とも言えます。
そう考えると、もしかするとそこには「他者に認められたい」という承認欲求があるのかもしれません。
幸福感を生むのは、自分だけの選択
「自分が本当に気に入ったから、選ぶ」──それで充分なのだと思います。
誰かの評価軸ではなく、自分自身の内面と向き合いながら、自分が心から良いと感じたものを手に取る。
そこに、自己探究の豊かさと、自己実現の幸福感があるのではないでしょうか。
工芸品と幸福感。
それは、モノを通じて心の在り方を問う機会なのかもしれません。

遊び心の家の食器棚