無理を前提にした家は、続かない。
無理を前提にした家は、続かない。
どれだけ美しくても、
どれだけ整っていても、
そこに暮らす人が、
無理をし続けなければ成り立たないとしたら、
その暮らしは、
望まぬ方向にカタチを変えていきます。

「片付ければいい」
「新居ならできる」
そう思ってしまいがちですが、
その“頑張り”や“誓い”が前提になっている時点で、
すでに少し無理があるのかもしれません。
人はきっと、
多かれ少なかれ、
何かを整えながら生きています。
少し我慢をしたり、
少し背伸びをしたり。
それ自体は、
決して悪いことではありません。
ただ、
その“少しの無理”が、
ハレではなくケ(日常)の中に組み込まれてしまった時。
暮らしは、
静かに歪み始めます。
僕は思うのです。
住まいは、
ウェルビーイングの基点なのではないかと。

以前、自宅をリフォームしていた時期がありました。
帰ってきても、
どこか落ち着かない。
本来は安らげるはずの場所が、
どこか仕事場のように感じられてしまう。
心の水面が、
常に荒れているような感覚でした。
そんな状態になると、
家にいることよりも、
外に出ることを求めるようになります。
そして不思議なことに、
それまで好んでいたものとは違う、
“分かりやすい刺激”を欲するようになるのです。
音楽で言えば、
繊細な音の重なりを味わうようなものではなく、
強いビートや、音を歪ませたディストーション。
食で言えば、
じんわりと広がる味わいではなく、
瞬間的に満たされるようなもの。
それはきっと、
良い・悪いという話ではなく、
自分の状態に応じて、
求めるものが変わっているのだと思います。
ただひとつ言えるのは、
暮らしが整っていない時ほど、
自分の感覚は、
少しずつ“強いもの”に引っ張られていく、
ということです。
そして逆に、
暮らしが整っている時ほど、
小さな違いや、
静かな心地よさを、
ちゃんと感じ取れるようになる。
だからこそ思うのです。
住まいは、
ウェルビーイングの基点なのだと。
例えば、
来客の直前に、
一気に片付けるタイプの人。
普段は後回しにしていても、
人が来るとなると一気に整える。
それでバランスが取れているのであれば、
それもひとつの在り方です。
でも、
その状態を前提にせず、
「いつでも完璧に整っている家」を目指してしまうと、
どこかで無理が生まれます。
あるいは、
物をしまうよりも、
出しておいた方が楽な人。
「使ったら戻す」が、
少しだけ面倒に感じる人。
そういう人にとって、
すべてを隠す収納は、
美しくは見えても、
続かない仕組みになってしまうかもしれません。
住まいづくりで大切なのは、
「どうすれば理想通りにできるか」ではなく、
「どうすれば無理なく続くか」
という視点で考えることだと思うのです。
・出しっぱなしでも成立する余白
・とりあえず置いても崩れない関係性
・戻しやすい動線
そんな“現実に寄り添った設計”が、
暮らしを支えていきます。
それは、
決して理想を諦めるということではありません。
むしろ、
理想を続けるための方法です。
住まいづくりとは、
理想を形にすることでもありますが、
同時に、
「無理をしなくても続く仕組み」をつくることでもあります。
どんな暮らしをしたいのか。
その前に、
自分はどんな人間なのか。
どこまでなら無理なくできて、
どこからが負担になるのか。
その境界線を知ることが、
住まいづくりの
出発点なのかもしれません。

無理を前提にした家は、続かない。
そして住まいはウェルビーイングの基点です。
ですので、無理なく暮らせる住まいが必要だと、
僕は思います。