超国宝で観る、人々の支えとは。
奈良国立博物館「超国宝」への弾丸ツアー
仕事終わりに向かった妻の実家
金曜の仕事終わり、慌ただしく荷物をまとめて車に乗り込みました。
目指すのは、奈良の妻の実家。奈良国立博物館で開催中の「超国宝」に行くためです。
高速道路にのるその前に、「鶏っぷ」でラーメンを食べて、さぁ出発!
地球を小さく感じさせる行動
最近、妻の母や僕の父に変化を感じます。
それは、思っていることをはっきり伝えて来なかったり、とても寂しげな表情を見せたりするのです。
僕らも体力が落ちている年齢で、寂しく思ったりすることもあり、そうなのかな?と想像していますが、そうだとしたら僕らに出来ることがあると妻と話しています。
それが、地球を小さく感じさせる行動です。
すぐに会えるよ!
奈良から福井に離れていても「いつでも会える」ではなく、「すぐに会える」ことが感じられる動き。
まるでラーメンを食べに行くように、大阪や奈良まで会いに行きます。
ご年配になって、何か支えとなるモノを感じられないなんて、きっとそんなことでは、誰もシアワセでは無い世の中になってしまう。
だから地球を小さくするのです。
超国宝で思ったこと
展示のスケールに圧倒されて
翌朝、訪れたのは奈良国立博物館。「超国宝」の看板が目に飛び込んできた瞬間から、ワクワクが高鳴ります。
会場に一歩足を踏み入れた瞬間、百済観音像の圧倒的な存在感に引き込まれました。
とは言え、人が鮨詰め状態で・・・
でも父が以前、ココ、奈良国立博物館でボランティアで仏像の説明をしていたので、皆さんよりは深く観ることが出来たかもしれません(笑)
仏像が支えになっていた時代
8世紀から時を超えてずっと、人々はこうした仏像の前で、祈り、救いを求めていたのでしょう。
「超国宝」で感じたのは、技術の高さだけではなく、信仰心の強さ。
それに21世紀の現在まで、時を超えて伝わっていることです。
それを今、目の当たりにできる奇跡に、ただただ感謝するばかりでした。
地球の自転が巻き戻り、つながる感じ。
支えを求める人の心は、今も変わることが無いのでしょう。
今、僕たちの支えになるもの
今の僕たちの共通の支えってなんだろう?
同じように迷い、揺れる瞬間、何が支えとなるのだろう?
AI?(笑)
僕にとっての“支え”は、もしかすると「家族」そして、その象徴としての「家」なのかもしれません。
仏師が願を込めてノミを振るったように、僕も精進して線を引かなきゃ。
それが多様化する現在にあって、唯一共通の支えなのかもしれないのだから。
子供の頃に訪れた思い出のフレンチ
Le BENKEIでの昼食
仏像と対話したあとは、少し足を伸ばして大和郡山市のフレンチ「Le BENKEI」へ。
少し早めの父の日の贈り物として、家族でランチに訪れました。
この場所は、僕にとっても妻にとっても特別な意味を持つ場所。
僕たちが子供の頃、両親に連れて来てもらったレストランでした。
両親の記憶と今の僕たち
妻も僕も、子供の頃に連れて来てもらったレストラン。
バブルだったとしても、かなりおぼっちゃまとお嬢さまだったよね。
何不自由ないどころか、とても良くしていただいたこと。
お会計の際に痛感するのでありました。
楽しい時間はあっという間。
次の日、朝から打合せがあるので、僕らは福井へ戻ることに。
先ず父を大和小泉の駅へ送り届けました。
父は僕らが小さかった頃のことを思い出したのか、別れ際、とても寂しそうな顔をしました。
続いて義母を家まで送り届け福井へ向けて出発しました。
ラーメンに始まり、ラーメンに終わる一日
帰り道、父や母の寂しそうな顔に後ろ髪が引かれます。
「もう少し、話せる時間を持たなきゃね!」
妻と話しながら帰って来ました。
地球を小さくするとは言え、夕方に奈良を出発しても福井に着く頃はすっかり日も暮れて・・・
「夕飯、どこかで食べて帰ろうか?」
「でも空いてる店ってどこ?」
「まほろばかな?」
我が家の近所のラーメン屋さん
それが「まほろば」です。
鶏っぷで旅に出て
大和は国のまほろば
ラーメンではじまりラーメンで終わる旅でした。