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共感

「お兄さんの仕事は、カタチがあるからいいね!
理解が無くても、感じることで共感を得ることができる」

弟にそう言われて、僕は少し寂しくなった。


最後まで観ることができる映画が減る

僕は、最後まで観ることができない映画が増えた。
その理由は、最後まで理想の暮らしが続かない家が多いことと、とてもよく似ている。

僕は映画を観る時、物語に没入するというより、少し引いた位置から観ている。
監督は、何を、どんな手順で、どこまで誠実に伝えようとしているのか。
興味の軸足は、そこにある。

だから、卑怯な表現が見えると、一気に冷めてしまう。
視聴者を軽く見ていたり、感情を安易に誘導したりする瞬間が見えた時、
僕はテレビのプラグを抜いてしまう。

その横で妻は、「なんで消すの!」と怒る。
僕が「この映画には、誠実さや敬意が無い」と答えると、
また少し、寂しい気持ちになる。

所詮フィクションの結果に過ぎないのに、
妻はその“結末”を知りたくて、
観る側が軽く扱われていることには気付かない。

僕には、共感する価値も資格も無い映画に見えてしまう。


映画と住まいづくりにある共通点

この映画の見方の違いは、住まいづくりにもそのまま当てはまる。

家を建てた人の半数以上(55.4%)が、
かなり頑張らないと「人を招くことができない暮らし」をしているという。

17.2%の住まいと46.5%の住まい(55.6%)

kufuraの調べ

理想を描いて建てたはずの家で、
理想から遠い暮らしを続けている。

この現実は、映画の見方の違いと、とてもよく似ている。

  • 分かりやすいものに飛びつく
  • あまり考えず、流れに身を任せる
  • 時短で「結果」だけを求める
  • 「楽しさ」より「楽」を優先する

 
こうした思考の癖が、
本来得られるはずだった結果を、遠ざけている。


共感は、奇跡だ

「お兄さんの仕事は、カタチがあるからいいね!
理解が無くても、感じることで共感を得ることができる」

カタチがあれば伝わる。
カタチから感じ取れる。

もし本当にそうなら、この世界はどれほど美しいだろう。

でも、僕はそうは思わない。

共感できることは、奇跡だ。

カタチを目の前にしても、共感は起きない。
知識や認識があったとしても、それらは足がかりに過ぎず、
そこから何かを感じ取れるかどうかは、極めて不確かだ。

だからこそ、共感は奇跡なのだと思っている。

建築はカタチがあるから共感を得られる。
そう信じ切っている弟の言葉に、
僕はどうしても、残念さを覚えてしまった。


優しさとは何か

弟は、性根が優しい人間だ。
命の初期設定が、優しさの方向を向いている。

こういう人は、勘違いしやすい。
自分の内側に湧く感情は、ピュアで正しいものだと。

しかし、ピュアであることと、正当であることは別だ。

本来の優しさとは、
消して評価や見返りを求めない、完全な奉仕の心だと思う。
たとえると、未来において「正しかった」と言える結果を残すことだったりする。

気持ちが優しいだけでは、
正当な結果に結びつかないことの方が多い。

想いは、

  1. ピュアであること
  2. カタチにすること

 
この2つが揃っても、

  1. 伝わる
  2. 実る

 
ところまで辿り着くのは、簡単ではない。

弟は、あまりに命がピュアだから、
「カタチにすれば伝わる」と疑っていない。

そして、その無自覚な確信が、
「共感すべきだ」という圧になりやすい。

それはもう、優しさではないのではないか。
そう感じてしまう自分がいる。


強要は、やさしさか?

住まいづくりでも、同じ構図が繰り返されている。

「当社は、気密が確保される吹付断熱を採用しています」
「地震に強く、間取りの自由度がアップするパネル工法がおススメです」

そう言われるまま、選択肢を失っていないだろうか。

分かりやすさに流され、
考えることを手放し、
「楽」を選び続けた結果が、55.4%なのだと思っている。


“支配”から“選択”へ

力ある者にとって、
考える人は、都合が悪い。

だから、

  • 考えない
  • 流される
  • 疑わない

 
人が増える方がいい。

でも、住まいは一度建てたら終わりじゃない。
暮らしは、ずっと続く。

  • 分からないことを分かろうとする
  • 流されずに考える
  • 自分なりの正当性を持つ
  • 「楽」ではなく「楽しさ」を選ぶ

 
そうやって選択できる人は、
やがて、カタチからも感じ取れる人になる。

想いを言語化できる人になる。

共感という奇跡も、
もしかしたら、夢ではなくなるのかもしれない。

共感は奇跡