こんなところに日本人!
デザインという言葉の意味

誰が僕の声を届けてくれるのか?
それが分からないまま、それでも手を止めずに「できること」を続けている。
今日は(仮称)大宮2の家の着工前の近所挨拶の時に、移転されたことに気付いたデザイン事務所さんに伺った。
そこで感じたのは――
「共感」は、何よりの宝物だということ。
簡単には得られないからこそ、得られた瞬間の喜びはひとしおだ。
その方は、「デザイン」という言葉を、僕が大学で履修した「デザイン概論」で定義された、あのアカデミックな意味で使っておられた。
これがとても嬉しかった。
デザイナーを名乗る方でさえ、定義とは異なる意味で「デザイン」という言葉を使う場面に出会うことは珍しくない。
だからこそ、同じ言語感覚で語り合える相手に出会うと、まるで海外で日本人に出会ったような、不思議な安心感と感動が生まれる。
──「こんなところに日本人!」
あの番組のように。
こんなところに日本人

デザインというポピュラーな言葉でさえ、僕が使うのはアカデミックな定義に基づいたもの。
一般的な用法とは違うから、僕の言葉は、訛りのキツい地方で標準語を話しているようなものなのかもしれない。
学問として正しい。
決して俗ではない。
しかし――
「多数派の言語感覚」とは必ずしも一致しない。
天動説が常識だった時代に、地動説は“異端”とされたように。
正しいからといって、すぐに通じるものではない。
では、誰が「それでも地球は動いている」と共に訴えてくれるのだろう。
そして、その声を誰が聞き入れてくれるのだろう。
46.5%の住まいが「人を招けない状態」に陥っている――。
その現実こそ、デザインがアカデミックな意味で使われていない証拠なのではないか。
▶︎ デザインの考え方と導き方