「自分さえ大切にできればいい」の真意──美徳に隠れた嘘を暴く
「誰かのために生きる」って本当に立派ですか?
聞こえは美しい。
でも、その行動の起点は、どこにあるのかを考えたことはありますか?
事実、人間が「良い」とされる行動を起こすとき、その根源はすべて自分のためです。
意識していようが、無意識だろうが、最終的には自分の利益や心地よさにつながっている。
これはスピリチュアルでも自己啓発でもなく、ただの事実です。
「型」を守ることが目的化してしまう落とし穴
歴史を振り返ると、「他人のため」という価値観は、秩序や安心を保つために大切にされてきました。
武道や芸事の世界で言われる「守破離」でいうところの守(型を守る段階)です。
本来、「守」は次の「破」「離」へと進むための基礎ですが、社会や組織では、この「守」がゴールのように扱われてしまうことがあります。
結果として、「型」を守ることが目的化し、その先にある本質的な理解や広い視野での「自分のため」にはたどり着きにくくなってしまうのです。

会話はベースで聞こえ方が変わる
例えばこんなやり取り──
B)「この度はAさんのおかげで、上手く行きました!ありがとうございました!」
A)「いえいえ、上手く行ったのはBさんの働きです。僕はやるべきことをしたまでですよ!でもそう言ってもらえて嬉しいです(笑)」
この会話、本質的なベース(離)を持つ人には、相手への敬意や誠実さがはっきりと感じ取れる。
しかし、そのベースを持たない人には、ただの謙遜か、上辺だけのやり取りにしか聞こえません(守)。
同じ言葉でも、受け手の土台次第で意味が全く変わるのです。
(自分(A)さえ大切できれば・・・そんな意識で会話を読み直してください)
「自分さえ大切にできればいい」の誤解を解く
本質的な社会性は、正しく自分を大切にできる人しか持てません。
ここで言う「自分さえ大切できればいい」は、狭い視野の自己中心ではありません。
広い視野で、自分を大切にすること。
それが、結果として他者や社会を守ることにつながります。
守破離でいえば、「守」に留まるのではなく、「破」「離」へと進むことが、本当の意味で自分と社会を豊かにする道です。
そのための第一歩は、自分を本来の意味で大切にする力を持つことです。