「いい人」を続けるほど、暮らしは歪む?
「いい人」を続けるほど、暮らしは歪む。
そんな風に感じることがあります。
でもそれは、
暮らしが歪むというよりも、
自分自身を、
少しずつ見失っていくことなのかもしれません。

嬉しいのか、
悲しいのか。
その感覚さえ、
分からなくなってしまう。
心を押し殺していると、
感情は静かに止まっていくのだと感じます。
でも、人はきっと、
多かれ少なかれ、
ありのままの自分ではない
何かを演じながら生きている。
社会の中で、
役割を果たしながら生きていく以上、
それは自然なことなのかもしれません。
ただ、
その“少しの無理”が、
積み重なっていった時。
心の動きが、
少しずつ澱んでいく。
やがて濁り、
透明度を失っていく。
——そんな感覚です。
その“少しの無理”を、
誰かに気付かれた時。
——いや、
自分で気付いてしまった時。
もしかしたら溢れ出す何かを止めることができなくなる?
そのことに恐れを抱く方がおられるのではないか
そんな風に思うのです。
だとしたら、
ウェルビーイングは、どうやって生まれるのか?
僕は少し迷子になりました。
これまで僕は、
「自分らしくいること」
「自分を受け入れること」
それが、
ウェルビーイングに一番近い在り方だと感じてきました。
エクリュの住まいづくりも、
その考え方を軸にしています。
でも、
世の中には、
少し自分を偽りながら、
その自分を受け入れることで、
バランスを取りながら生きている人もいます。
そして、
その中でシアワセを感じている人もいる。
そういう人に、
「ありのままでいい」
「もっと自分らしく」
そんな言葉をかけたとしても、
それは時に、
軽く聞こえたり、
いかがわしく感じられたりする。
当然のことと思います。
だからこそ、
少し立ち止まって考えたいのです。
ウェルビーイングって、
何なんだろう、と。
自分らしくいることなのか。
それとも、
少し無理をしながらでも、
何かを守り続けることなのか。
どちらが正しいと
言うわけでもないでしょう。
どちらもありえる。
ただひとつ言えるのは、
住まいづくりには、
その人の「生き方」が、
そのまま現れるということです。
無理を前提にした暮らしは、
どこかで歪みが生まれるかもしれない。
でも、
無理を抱えながらも、
成り立っている暮らしもまた、
確かに存在している。
だからこそ、
どんな在り方で生きていくのか。
どこまでを受け入れて、
どこからを手放すのか。
その問いと向き合うことが、
住まいづくりの
出発点なのかもしれません。

シアワセとは何か。
ウェルビーイングとは?
その答えは、
すぐに出るものではないのだと思います。
だからもう少しだけ、
考え続けてみたいと思います。