エクリュ・ギャラリー|ウェルビーイングと写実に基づく住まいづくり
エクリュ・ギャラリーの存在意義
エクリュは工務店でありながら、ギャラリー(エクリュ・ギャラリー)を有しています。その理由は、ウェルビーイングな暮らしや理想の暮らしを継続するには、機能的な住まい(空間)だけでなく、暮らしに潤いを与える時間や体験も必要だと気付いたからです。
四半世紀以上にわたり、エクリュはウェルビーイングが継続されることを考えてきました。エクリュ・ギャラリーでは、オーナー様たちの暮らしをより良くする提案に協力していただけるアーティストの展示会を模索してきました。

アートの情動性と恐怖
アートに触れると、心が強く揺さぶられることがあります。時には恐怖さえ感じますが、それは決して大袈裟ではなく、実際に自分の中で起きている感覚です。
時に芸術は、アカデミックではなく、深い闇や不連続な表現が大きな賞賛を浴びることも珍しくありません。この不連続性、まるで革命のような出来事が頻繁に起こることに、僕は不安と恐怖を感じます。しかし同時に、そうした体験を通してアートの情動性や深さを理解することもできます。
高島野十郎の言葉
その答えに少し近づけたと感じたのは、これまで理解できなかった絵画の意味を感じられるようになった時でした。
明治の画家、高島野十郎さんはこう言っています。
「寫実(しゃじつ)の極致 それを慈悲といふ」
さらに野十郎さんは、
「表現はすべて暴力。(中略)芸術は自然に直接でなく、全く無関係の他物質に表現する暴力。だから美」とも述べています。

エクリュの住まいづくりは写実
エクリュの住まいづくりで最も重要だと考えていることは、「住まいと住む人をイコールで結ぶ」ことです。家と人をシンクロさせることで、ウェルビーイングな暮らしが継続し、発展する可能性を高められると考えています。
そのためにエクリュが努力してきたことは、歪みの少ない鏡になること、あるいは感情を超えて正確に表現する能面のようになることです。お施主様を正確に映し出す方法を模索し、覚悟を持って実現してきました。この行動は、写実に類似していると気付いたのです。
ある絵画への開眼
すると、スーパーリアリズムやボタニカルアートも、中にはアートとして目に飛び込んでくる絵画も存在するようになりました。 そして、これまで頭の片隅で考え続けてきたアートの情動性による恐怖とは真逆の、慈悲の感覚を覚えたのです。
このことは、僕の好きな建築家であるルイス・バラガンの言葉と類似して感じました。その言葉とは。
「静けさこそが、苦悩や恐怖を癒す薬」

誠実さこそ
僕はやはり、誠実な表現が好きです。 誠実さとは何か? 何に対して誠実であるのか? さまざまな解釈がありますが、僕が考える誠実さとは、自分を大切にすることで、だからこそ相手を大切にできる感覚や行動を指します。
個性とは
エクリュのオーナー様のお住まい「均幸の家」のコンセプトは、「個性とは社会に順応し、社会の評価を得た上で発揮されるものである」という考え方です。 つまり、まず他者を大事にした上で、自分を大事にすること。その誠実な思考と行動こそが、人に安心感と輝きを与えるのです。

暴力ではウェルビーイングは生まれない
私たちの本質には必ず暴力が存在します。暴力を否定することはできません。しかし、暴力ではウェルビーイングを生み出すことはできません。暴力が生み出すのは、さらなる暴力だけです。
絵画も建築も、ある意味で表現です。高島野十郎さんは「表現は暴力」と言いました。その通りです。しかし、写実的表現には慈悲があることもまた、リアルに感じます。
この違いに、多くの方々に気付いていただきたいと、僕は切に願っています。
