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ブログ

ポプラの枝に気付ける人|唯識とエクリュの思想

「ポプラの枝」に気付ける人

君が涙の時には、僕はポプラの枝になる

これは中島みゆきさんの「空と君のあいだに」の歌い出しです。

僕は長女に「ポプラの枝に気付ける人になるといいよ!」と伝えて来ました。

「孤独な人につけこむような」言葉が多い世の中なので・・・

ポプラの枝に気付ける人になろう!


2組の打合せで感じたこと

今日は2組の協力会社さんと打合せをしました。
1組目は、金融機関さん。
2組目は、広告関係の会社さん。

どちらの方にも、同じようなお話をしました。
と言うより、エクリュは、どの切り口でも、結局同じ話になります。

2組とも、とても共感をいただけて、ご評価をいただきとても嬉しく思いました。

ただ、そのご評価いただいた内容が2社で違っていたのです。
そのキーワードはきっと「ポプラの枝」に気付けるか否かだったのではないか?と感じました。


唯識という考え方

人は自分を超えては、何も理解することができません。
そもそも「理解」とは、概ね願望でできているそうです。

「唯識」という概念が仏教にはありますが、
僕が同じように話したことも、受け手側の「識」──つまり心の作用への働きかけであり、
僕の言葉では無くなる。

そんなことを感じました。


エクリュの思想と「ポプラの枝」

エクリュの想いや思想は、「ポプラの枝」に気付ける人にしか、届かない言葉や仕草があるように、
受け手の知識や感性に頼らないと届かない。

しかし、エクリュが考えていることは、万人に適合する真理をついた考え方だと思うのです。

なぜなら、「唯識」や「内観の知」など、
ずっとずっと昔の人が気付いて、般若心経など、言葉にして伝えて来たことに共通点があるからです。


暮らしと気付き

暮らしは日常。
だから「ポプラの枝」に気付く必要があります。

しかし、浮世に心を奪われている方々は、
本来エクリュの力を必要とされている方々なのに、声が届かない。

ある意味、既に「ポプラの枝」に気付いておられる方々が、
エクリュを正当に評価してくださり、エクリュを機能させている。

しかし、それらの方々は、エクリュで無くても、もう大丈夫。

そんな矛盾を、今日は考えていました。