寫実の極致、それを慈悲といふ──前壽則先生の作品とエクリュの鏡
「寫実の極致、それを慈悲といふ」
写すとは、写されるものを支配することではない。
ただ、ありのままを受け入れ、誠実に映すこと。
——その姿勢の先に、人の心を映す鏡が生まれる。
重要なことはたいてい簡単ではない
今日の話は、とても重要です。
でもきっと難しいと感じる方もおられるかも・・・
しかし、それでも読んでいただき、お考えいただきたい内容です。
昨日の打合せ
昨日は、エクリュ・ギャラリーの展覧会のことで、武生まで打合せに行って来ました。
おかげさま、話はとても良い方向に進んで、12月6日からの個展開催に向けて動き出しました。
ありがとうございます。
その昨日の打合せの中で、「エクリュ・ギャラリーの独自性」と「寫実(しゃじつ)の極致 それを慈悲といふ」と言った高島野十郎さんの言葉についての話になりました。
前壽則先生の個展

実は、本当に嬉しくありがたいことなのですが、12月6日からエクリュ・ギャラリーで個展をしていただけるのは、前壽則先生です。
10年以上も前のことですが・・・
亡き母が自分が癌と知って、奈良から僕のいる福井に引っ越してきます。
そしてある日、母が「絵を買ってあげる」と僕に言うんです。
しかし僕は「お金は自分のために使いなさい」と断ってしまいます。
母が買おうとしていたのが、前壽則先生の絵画です。
母の導きでしょうか?
(いや、牧井先生のお導きです。ありがとうございます)
前壽則先生の作品

前壽則先生の作品は、金箔や銀箔などの上に、とても精密に描写された植物などの絵画をイメージされる方が多いのではないでしょうか?
その通りなのですが、その作品を目の前にすると、観る人によっては、写真には映らない何かが表現されていることに気付かれるのではないかと思われる、そんな作品だと感じます。
それは、写実の極致である、全てをありのまま受け入れ、それをありのまま表す慈悲が可能にする「鏡の法則」ではないか?と僕は思うのです。
鏡の法則とは?
鏡の法則とは、他者や出来事は自分を映し出す鏡であり、周囲に現れる「現実」は自分自身の内面や態度が反映されたものであるという心理学的な考え方です。
ここで言う鏡の法則は、他者では無く「作品」が、観る人の内面を写し出すと言った意味で表現しました。

ありのまま
前壽則先生は、ご自宅の庭にある植物や、近所を流れる日野川に生える葦などの植物など、日常の中に存在している植物の中で特に先生の目を釘付けにさせる力を持つ1本や部分を見つけてはデッサン(スケッチ)され、そのデッサンを作品にされるそうです。
その先生を釘付けにした力が、観る人の内面に存在する何かを引き出し、余白も含めた絵画に写し出す。その感じがまさに鏡の法則だと感じます。
それを可能にしているのは、ありのままを受け入れ表す慈悲なんだと思います。
エクリュの住まいづくりは写実
エクリュの住まいづくりで最も重要だと考えていることは、「住まいと住む人をイコールで結ぶ」ことです。
家と人をシンクロさせることで、ウェルビーイングな暮らしが継続し、発展する可能性を高められると考えています。
そのためにエクリュが努力してきたことは、感情を超えて正確に表現する能面のようになること、むしろ、歪みの少ない鏡になることです。
お施主様を正確に映し出す方法を模索し、覚悟を持って実現してきました。
お気付きになりましたか?
鏡の法則が、前壽則先生の絵画と似ていると感じました。
似ている
前先生の作品は、金銀箔や和紙、また墨や和紙を用いその上に油彩やアクリルで植物などの描かれています。
植物が描かれた作品。
でも作品に描かれているのは、植物だけど植物では無い。
僕ら世代に分かりやすく言うと“写真には映らない美しさ”のようなモノが描かれています。
でも、植物が描かれているので、見た目に捉われると、その絵画は美しい植物の絵にしか見えない。
(一緒にしちゃうと先生に失礼だけど)
エクリュは工務店です。
工務店だと思ってエクリュを捉えると、それは間違いでは無いのですが、エクリュが実現しようとしていることや、エクリュの想い、考え方はきっと観えて来ない。
その上、鏡であることも。
共通の想い
エクリュ・ギャラリーは、機能する住まいが機能し続けて、更に豊か暮らしに高まって行くこと。
絵画などが空間に潤いを与え、更にウェルビーイングにつながり永く続くように。
そんな想いがエクリュ・ギャラリーをはじめた理由です。
この想いに前先生もとても共感していただき、イギリスの装飾美術家ウィリアム・モリスの「生活の芸術化」のお話をしていただきました。

目に映らない何か
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
これはフランスの作家サン=テグジュペリの代表作『星の王子さま』の一節で、キツネが王子さまに教える言葉です。この言葉は、目に見える表面的なものではなく、心で感じ取り、本質を見抜くことの重要性を伝えています。

どうして「寫実(しゃじつ)の極致 それを慈悲といふ」のか?
どうしてエクリュは原価をお伝えして、エクリュの利益までお伝えするのか?
そこに何があるのか?
今一度、目に映らない何かを感じ取ってはいただけませんでしょうか?
住まいも、アートも、人も。
見えるものの奥に、ほんとうの美しさが宿るのかもしれません。
前壽則先生の個展(@エクリュ・ギャラリー)は
12月6日〜21日まで開催致します。
詳しくは後日お伝えさせていただきます。