永く続くシアワセな暮らしとは|刺激で認識する幸せではなく日常にある本質的なシアワセ
永く続くシアワセな暮らしとは
今日は「シアワセ」と「幸せ」について考えていました。
きっかけは、エクリュの住まいづくりが目指す「永く続くウェルビーイング」について改めて思いを巡らせたことです。

多くの人が思う「幸せ」
多くの方々が捉えてしまう「幸せ」は、手軽に美味しいと感じられる添加物による味覚のようなもの。
もう、カツオや昆布からとる出汁では物足りない、というか、感じ取れなくなってしまっている状態では?
それは、刺激的で派手で、目を奪われるような幸せ。
でもその幸せは、すぐに過ぎ去り、また次の刺激を求めてしまいます。
本来のシアワセ
僕が思う本来の「シアワセ」は、静かで確かにそこにあるものです。
楽や刺激を求めてしまっては決して気付けない、日常的で当たり前すぎるくらいの感覚。
でも、それは研ぎ澄ませないと感じ取れないくらい微細で、しっかりとしたものです。
たとえば…
- 毎朝、妻が起こしてくれること
- 身体を気遣ってくれること
- 横でテレビを見ていること
そんな何でもない日常こそ、本来のシアワセです。
失って気付く日常
この日常は、失ったときにやけに気付きます。
でも、刺激的な出来事に幸せを感じる人からすると、とてもつまらない、なんでもないことに見えるでしょう。
そうして人は、派手で目立つものに目を奪われ、やがて本質的なことに気付けなくなっていきます。
ちょうど、添加物に慣れた舌では、ちゃんとした出汁の味に気付けないように。
エクリュの目指す暮らし
エクリュの住まいづくりは、この「永く続くシアワセな暮らし」を大切にしています。
建物や空間そのものが刺激的である必要はありません。
日常の中で静かに続く、確かなウェルビーイングを実現できること。
それこそが、本当に価値ある住まいだと考えています。
僕の声は、果たして届いているのだろうか。
そんなことを思いながら、今日も「シアワセ」と「幸せ」について考えていました。